「児童虐待」と「老人虐待」の根っこにあるもの

先週のNHK「にっぽんの現場」では、お年寄りの虐待について放送されていました。

実の息子による虐待。通報により駆けつける支援センターの人に対して、すぐには虐待を認めない悲しいまでの親心。
そして、解決への糸口を探る、息の長い戦いの現場を見せられました。

いずれにしても、高齢者を抱える家庭というのは、生活において非常に大きなリスクを伴う、と言うべきか、厳しい状況に置かれていることがよく分かるドキュメントでした。

それにしても、支援センターの人たちも大変です。相談を受けても、そう簡単に解放される問題ではありません。その家庭に住む人たちの、それまでの「人生」と向き合わなければならないのですから。


この「老人虐待」について、明橋大二先生の「忙しいパパのための子育てハッピーアドバイス」の中で、触れられている章があります。
それは、「体罰は子どもの成長にマイナス面が大きい」の章です。

言うことを聞かない子どもに対して、ついつい手をあげてしまいがちなのが親の常なのかもしれませんが、虐待をすることによるリスクを長期的に見ると、

  1. 攻撃性が強くなる
  2. 反社会的行動に走る
  3. 精神疾患を発症する

という3項目が上げられています。

体罰のあり方について、教育の現場では排除の方針になっていますが、家庭の中となると、まだまだのようです。
学校では「暴力はいけません」と言いながらも、「しつけ」を理由に体罰をすれば、暴力で物事を解決していいと教えていることになり、同じです。

明橋先生の「老人虐待」の指摘は、ここからです。

体罰の根本にある考え方の一つとして、「口で言ってもわからない者には、体で教えるしかない」というものがある、というのです。

子どもを育ててきた親は、やがて年をとり、体の自由がきかなくなり、排泄さえ意思通りにはいかなくなります。
子どもの面倒にかかるようになる訳です。
子どもが、いくら言っても、食べ物はこぼすわ、排泄はうまくやってくれないわ、言うこと聞かずに徘徊するわ、物覚えが悪くなるわ……。

この時、体罰を受けて育った子どもは親に体罰を与えることになるのだそうです。
つまり、「口で言っても分からない者には、体で教えるしかない」という感覚が、子どものころから植え付けられているからです。

児童虐待」と「老人虐待」の根っこは、実は同じところにある、というのが明橋大二先生の指摘です。


NHKで放映された家庭はどうだったかは知りません。
もちろん、それぞれの家庭の事情、個人個人の環境によって、それは変わってくるとは思います。

しかし、子どもに体罰を与える、その影響は、その時で終わるものではなく、その子の人生をも左右し、やがては親自身に大変な災いとなって返ってくるかもしれない、と自覚すべきなのでしょう。