「話してもムダ」な親に決してならない

いじめによる自殺など、問題が深刻化しています。

それは、子どもが「明るい未来」を夢見ることができないからではないか、という指摘もあります。

名前を出しての誹謗中傷の書き込みのあと、一言そえられる「訴えれば 〜 捕まっても関係ないし、どうでもいい」。投げやりで未来への希望を全く感じない言葉です。真夜中の書き込みに「暇 〜 だれかいる?」「つまらない」というものもたくさんありました。今、自分が何をしたらいいのか、何に向かって進んで行けばいいのか、真っ暗闇の中で進むことも戻ることも出来ずに、茫然と立ち尽くしているような姿が浮かびます。
「ネットいじめ」に思う・未来に続く今という時間

尾崎豊は「生きる意味を求め続けた」と歌いながらも校舎の窓ガラスを割った、というのを思い出しましたが、求め続けるのならば、まだ救われるのかもしれません。
求めようにも、未来が暗すぎて求める気持ちにもなれないのかもしれません。
それが、「捕まってもどうでもいい」などと、完全になげやりになって、いじめや犯罪に走ることになるのでしょうか。

そう指摘している大人自身が、果たして未来に希望を持っているかどうか、という問題もありますが。

毎日ニュースで流れるいろいろな問題……気持ちを落ち込ませるものの多さに「明るい未来を想像しろ」と言われても、これを書いている私でさえ、正直「生きにくい世の中」だと感じてしまうことがあります。

と、あるのは、ごもっとも、と同意。


未来に希望が持てる日本にするには、政治家に頑張ってもらうしかないですね。
私たちは、子どもが未来に希望が持てる家庭を築くことが、大切なことなのではないでしょうか。

 心の奥の深い所に届く何かが欠けているように思います。不安や悩みを抱えていても信頼して話せる人がいない、うわべだけの人間関係。会話の少ない親子関係。学校のアンケートで、親と話す時間は平均で一日に数分というのにも驚きました。

この記事を書いている方は、幸せにも、親との会話が多く持たれている方のようです。

実際は「どうせ親に話してもムダだから」と言う子どもが多いです。

この件に関しては、明橋大二先生の「10代からの子育てハッピーアドバイス」の中に書かれてあるのですが、親にとって「子どもの話を聞く」ということは大切であるけれども、得てして10代の子どもは親と話したがらないのが本当です。

みなさんの10代を思い出して下さい。親と積極的に話しました?
私は、正直そんな思い出がないです(笑)

親と話しているより、友達と話している方が、ずっと楽しいし、それはそれでいい、無理にこちらから話を聞こうとしなくてもいいのだ、と明橋先生は指摘しています。
以前、政府のCMだったか、「子どもと話そう」というテーマで、何やら無理矢理話させようというものがありましたが、あそこまで無理しなくてもいいのです。


では、どうすればいいのか。


そんな子どもも、ごくたまに親に話を聞いて欲しい、という時があります。
その時、たとえ親が忙しくても、しっかり聞くことが大切だということなのだそうです。


確かに、10代の子どもが親に何か話しかけてくる、また相談してくる場合というのは、よほどの事情があってのこと。
その時に「忙しいから後でね」と突き放していては、もう子どもは親への心を閉ざしてしまう、ということなのでしょう。

そうなれば、確かに「親と話してもどうにもならないや」となるでしょうね。


「10代の子どもには、敗者復活戦はない」とは明橋先生の言。
明るい未来に伸びゆく子どもとなるのは、意外と身近な、家族のなにげない対応にかかっているのかもしれません。