頭を下げねばならない母親……それは日本の宝

母親の愚痴でネットもにぎやかです。
でも、やっぱり聞いて欲しい。母親が、どれだけ苦しい立場にいるのかということを。

 現在、バスで片道40分かけて保育園へ通園している。渋滞ともなれば、1時間位乗っていることもしばしばある。そんなこんなで今まで、朝早くて夜遅いという生活が続き、最近はバスの中で我が子がグズる事が多くなっていた。バスの中で一度グズり出せば、狭い空間だけに、その声は車内中に響き渡り、迷惑そうな視線を向けられる。

 宥めて、すかして、なんとかしようとする私の声も、地声が大きいのと、焦っているせいで迷惑そうだ。しかも、知恵のついてきた我が子は、嘘泣きまでもする。子供の声というのは耳につくようにできているのだが、より以上に耳につき、イラつかせる。周りの人たちが、冷たい視線を送る気持ちも、舌打ちをしてしまう気持ちもよくわかるだけに、頭を悩ませていた。
子連れのバス、舌打ちに悔し涙した私

小さい子供は、守らなければならないバスの時間なんて分かりっこなくて、朝ご飯なんてのんびり食べていたり、ぐすって食べなかったりしています。
親としては、何とか食べさせようとして無理するのですが、それもうまくいかず、イライラしながら子供を保育園に送ったりするものです。

というか、それが毎日だったりしますね。
特に父親や家族の協力がない場合は。

この記事のお母さんの気持ちが、痛いほどよく分かります。
通勤に限らず、子連れの母親が受ける、交通機関内での周囲の視線というのは、それはもう堪え難いものがあります。

でも、この母親に、保育園の先生は言う。

「ああいうワカランチンはどこにでもいるの。私も男の子を2人育てたけど、男の子を産んだ時点で、母親は頭を下げる事になっているのよ」

男の子に限る必要は無いと思うのですが、母親の背負うものの重さが、ずっしりと感じる一言。重い。


これだけ少子化が叫ばれている中、子供を育てるということは、未来の日本を背負う若者を育てているのであって、会社で人材を育てる以上の重い責任を母親(父親も同じですが、ここではあえて母親)は持っています。

明橋大二先生の本にもありますが、子供が宝なら、その宝を育てる母親もまた宝なのです。
日本の宝を、このバスの中に居合わせた人だけでなく、社会全体で見守り、応援していかねばならないと思うのです。

だから、朝から辛いバス通勤で大変でしょうが、舌打ちすることなく、親子を見守って欲しいものです。


そうはいっても、このストレス蔓延社会。なかなかそうもいかなくなってきたようです。

「部活の練習がうるさい」「児童館で遊ぶ声が騒がしい」――。学校や公園などで、子供の声を巡って、周辺住民との摩擦が生じるケースが増えている。

 最近では、東京都西東京市にある公園の噴水で遊ぶ子供の声を東京地裁八王子支部が騒音と認定し、市が噴水を止める事態に発展した。

 読売新聞が全国の県庁所在地、政令市、東京23区の計73自治体を対象に調査を行ったところ、各地の自治体が、子供の声や部活動で生じる様々な音に対する苦情の対応に追われている実態が浮かび上がった。
子供の声「騒音」の時代、自治体への苦情増加

子供の成長を、あたたかく見守れる社会ではなくなったのでしょうか。
とにかく自分の生活が精一杯で、子供の遊び声すら、騒音になってしまった時代が悲しいです。

母親が頭をさげるだけでなく、教育の現場も、周辺住民に不条理に頭を下げなければならなくなってきました。


こんな社会のストレスが、子供たちの心を蝕むことのないように、願うばかりですね。