学級崩壊を招くのは子供ではなく親だった

明橋大二先生の新刊が出たみたいです。
「忙しいパパのための子育てハッピーアドバイス」

ついに出ましたね、お父さんのためのハッピーアドバイス
待ってました、という感じですが、もともとハッピーアドバイスシリーズでは、育児を疎かにするパパ向けの内容を随所に含んでいたので助かりましたけど、こう堂々と出されると、これはもう世の中のパパは必見でしょう。

といいつつ、まだ手に入れてないのですが。近くの書店に行ってもまだなかった。
早くして〜。


それはともあれ、最近、学校に無理難題を言う親の話題が絶えないですね。
先日の「たけしの日本教育白書」でも再現映像で見せられて……もう、開いた口が塞がりませんでした。
また「金八先生」の新シリーズでも、いきなりこの話題ですよ。寝た子を起こす、ではありませんが、マスメディアによって触発された親が余計に苦情を言い出すと困りますが。そんなことはないと願いつつ……

「窓ガラスを割ったのは、そこに石が落ちていたのが悪い」
「けがした自分の子どもを、なぜ、あんなやぶ医者に連れていったのか」
「学校へ苦情を言いに来たが、会社を休んで来たのだから休業補償を出せ」
「運動会はうるさいからやめろ」
「野良犬が増えたのは、給食があるからだ」
「今年、学校の土手の桜が美しくないのは、最近の教育のせいだ」
「学校保護者関係研究会」で紹介された、驚愕の「保護者からの苦情例」

こうなってくると、もう「子供のためのクレーム」ではなくて、「クレームしたいからクレームしている」という感じです。
心、すさんでます。

上で紹介したブログでも述べられていますが、

こういう「最近の学校への苦情」というのは、どうも、「個々の生徒や先生に対する苦情」ではなくて、「学校という『権力』に対する反発」あるいは「自分の日頃のさまざまな不満に対する捌け口」的な面が大きいのではないかと僕は感じました。

これは至極ごもっとも。
こんな苦情はごく一部と信じたいですが、これにふりまわされる教員の方が可愛そうでなりませんね。

実際に自殺してしまった先生もおられますし。
心、病みますよね。
教師が、親の苦情に振り回されると、当然学校運営が疎かになり、果ては学級崩壊につながるという指摘がありますが、なるほど納得。

一人の親として、何とかサポートしてあげたい。
……とりあえずは、自分が無理難題を言わないように、と。


明橋大二先生の「ハッピーアドバイス」シリーズも、母親、父親ときて、今度は教育関係者向けが必要ではないでしょうか。
精神科医の元には、親だけでなく、学校教員も多く訪れておられることでしょう。

そのあたりのノウハウも、是非知りたいところです。
苦情への対処は、なにも学校だけのことではない、私たちの身近な人との付き合いでも生じることですから。

感情を表せる環境が素晴らしい

無いのが不思議だったのですが、今日ようやく見つけました。
明橋大二先生のホームページを。

まさかコンサートを開かれているとは知りませんでした。是非、一度聴いてみたい!


さて、それはそうと、ギャーギャー泣く子や騒ぎ立てる子は、どうしても嫌われがちです。

電車や病院など公共の場で、ギャーギャーわめいて走り回っている子供を見て、
「あらあら、元気でいいわねー」と目を細めてみている人の気持ちがまったく理解できません。
「このような場で!うるさい!」としか感じません。
また、どう見ても不細工な(失礼)子供を見て、
「いやーん、かわいー♪」と頭を撫でにいく人の気持ちがまったく理解できません。
単に、「不細工だ…」と思うだけです。
教えてgoo  子供が嫌いで何が悪い!

何とも言えない質問なんですが、「子供が嫌い」なら嫌いで別に構わないことですが、愚痴のはげ口のようにネットで同意を求めるのも、なんだかなあ、とは思います。
「自分もかつては、子供だったじゃないですか」と説明しても、聞きそうにない方ですね。
寛容がないのも、寂しい話です。

とはいえ、前回も書きましたが、電車やバスの中、スーパーなどで泣いたり騒いだりする子は、やはり「目障り」と思うのは、いつの時代も変わらないと思います。
問題は、自分がどう受け止めるか、なのでしょうね。


その術になるかどうか分かりませんが、明橋先生の本にも「子供の泣き声を聞くと、イライラする。どうすればいいか」という質問に答える章があります。(子育てハッピーアドバイス3:明橋大二 著

この質問は、「そんな子供をどう強く育てるか」という内容なのですが、上のようなパターンでも参考になると思いますので紹介します。

泣く、といのは、自分の感情を表現することで、子供の心の成長のために、とても大切なことなのです。
そしてそれは、その後、子供が、自分の気持ちを言葉で表現できるようになるためにも、とても大切なプロセスです。

と、指摘してあります。

つまり、子供が泣こうとすると、大人はどなったり叩いたりして泣かないようにします。
子供はやがて、泣くとひどい目にあうと分かるので、やがて泣かなくなります。
これは一見、よさそうに見えますが、それとともに、子供の喜怒哀楽の表情は奪われ、心配な状態になるというのです。

思い切り泣く子、騒ぐ子は、自分の気持ちを素直に表現できている子供で、とてもよいことなのです。
「泣く」「よしよししてもらう」「泣き止む」という過程を繰り返すことで、自己表現を育み、成長すれば逆にたくましくなって、ちょっとしたことでは泣かなくなるそうなのです。

幼い子供が泣くこと、騒ぐことは、それは悪いことだという風潮はありますが、そういった喜怒哀楽の感情は、人間形成の上でとても大切なことであり、それを育むことが、逆に「キレる子」になることを防ぐ近道だと明橋先生は説明しています。


なるほど、キレやすい子(大人も含めて)は、時期はいつにせよ、大人や他人によって感情を「抑圧」されてきた人なのかもしれません。

キレやすい大人も増えてきたのは、「子供嫌い」の風潮が生み出した一つの結果なのかもしれませんね。


感情豊かな、素晴らしい大人に育ってもらいたい。そういう目を持てば、泣く子供を見ても、寛容の心で眺めることができるかも。

頭を下げねばならない母親……それは日本の宝

母親の愚痴でネットもにぎやかです。
でも、やっぱり聞いて欲しい。母親が、どれだけ苦しい立場にいるのかということを。

 現在、バスで片道40分かけて保育園へ通園している。渋滞ともなれば、1時間位乗っていることもしばしばある。そんなこんなで今まで、朝早くて夜遅いという生活が続き、最近はバスの中で我が子がグズる事が多くなっていた。バスの中で一度グズり出せば、狭い空間だけに、その声は車内中に響き渡り、迷惑そうな視線を向けられる。

 宥めて、すかして、なんとかしようとする私の声も、地声が大きいのと、焦っているせいで迷惑そうだ。しかも、知恵のついてきた我が子は、嘘泣きまでもする。子供の声というのは耳につくようにできているのだが、より以上に耳につき、イラつかせる。周りの人たちが、冷たい視線を送る気持ちも、舌打ちをしてしまう気持ちもよくわかるだけに、頭を悩ませていた。
子連れのバス、舌打ちに悔し涙した私

小さい子供は、守らなければならないバスの時間なんて分かりっこなくて、朝ご飯なんてのんびり食べていたり、ぐすって食べなかったりしています。
親としては、何とか食べさせようとして無理するのですが、それもうまくいかず、イライラしながら子供を保育園に送ったりするものです。

というか、それが毎日だったりしますね。
特に父親や家族の協力がない場合は。

この記事のお母さんの気持ちが、痛いほどよく分かります。
通勤に限らず、子連れの母親が受ける、交通機関内での周囲の視線というのは、それはもう堪え難いものがあります。

でも、この母親に、保育園の先生は言う。

「ああいうワカランチンはどこにでもいるの。私も男の子を2人育てたけど、男の子を産んだ時点で、母親は頭を下げる事になっているのよ」

男の子に限る必要は無いと思うのですが、母親の背負うものの重さが、ずっしりと感じる一言。重い。


これだけ少子化が叫ばれている中、子供を育てるということは、未来の日本を背負う若者を育てているのであって、会社で人材を育てる以上の重い責任を母親(父親も同じですが、ここではあえて母親)は持っています。

明橋大二先生の本にもありますが、子供が宝なら、その宝を育てる母親もまた宝なのです。
日本の宝を、このバスの中に居合わせた人だけでなく、社会全体で見守り、応援していかねばならないと思うのです。

だから、朝から辛いバス通勤で大変でしょうが、舌打ちすることなく、親子を見守って欲しいものです。


そうはいっても、このストレス蔓延社会。なかなかそうもいかなくなってきたようです。

「部活の練習がうるさい」「児童館で遊ぶ声が騒がしい」――。学校や公園などで、子供の声を巡って、周辺住民との摩擦が生じるケースが増えている。

 最近では、東京都西東京市にある公園の噴水で遊ぶ子供の声を東京地裁八王子支部が騒音と認定し、市が噴水を止める事態に発展した。

 読売新聞が全国の県庁所在地、政令市、東京23区の計73自治体を対象に調査を行ったところ、各地の自治体が、子供の声や部活動で生じる様々な音に対する苦情の対応に追われている実態が浮かび上がった。
子供の声「騒音」の時代、自治体への苦情増加

子供の成長を、あたたかく見守れる社会ではなくなったのでしょうか。
とにかく自分の生活が精一杯で、子供の遊び声すら、騒音になってしまった時代が悲しいです。

母親が頭をさげるだけでなく、教育の現場も、周辺住民に不条理に頭を下げなければならなくなってきました。


こんな社会のストレスが、子供たちの心を蝕むことのないように、願うばかりですね。

父親の育児「参加」

父親の育児参加について、色々と取り上げられるようになり、一つの社会問題として見られるのは、ある意味有り難いことだと思っています。

「母親の育児に協力するというのではなく、男も子育てを楽しみたい。そもそも、自分の家庭や自分の子供のことなのに、『家族サービス』『育児協力』というのは、おかしいでしょう。育児は、主体的にやらないと楽しくないんです。子育てという楽しみを満喫したかったら、子供ができた時点で自分の中の“OS”を入れ替えよう、といつも言っています。古いOSのままだと、フリーズしてしまう。ことによると、離婚という強制終了が起こってしまうかもしれない」
父親たちよ、育児は「協力」ではなく 主体的に楽しむべきです

父親のOSを入れ替えよう、というのが楽しいです。
その「OSの切り替え」ができない人が多いのが、現状のようです。
また、「切り替え」したくても、周囲の状況がそうさせないのも、大きな問題だと思います。

父親も、会社などの父親を取り巻く環境も、WindowsからMacintoshに切り替えるぐらいの、大転換が必要なのかもしれません。


ともあれ、自分の子どものことなのに、「子育てに協力する」という考えそのものが、「子育ては母親の仕事」という考えが固定されていることが原因なのでしょう。

それは、明橋大二先生も指摘していて、「子育てハッピーアドバイス1」の「今からできる、お父さんの子育て」という章に分かりやすく書かれてあります。

つまり、父親にとって、子育てとは「手伝ったり」「参加したり」するものではなく、父親になったときから、母親と同じように、日々の生活に、当然ついて回るものなのです。

上のNBオンラインの記事のように紹介されると、「素晴らしい父親だな」と思う人が大半なのでしょうが、本当のことを言えば、「当たり前のこと」なのだと思います。


ただ、指摘のように

しかしそうは言っても、男性の子育てには課題は多い。男性も育児休業を取れる制度があっても、それを利用する風土がない企業も多い。男性が子育てに参加しようとすると、「仕事をあきらめた」と見られてしまうのが男社会だ。

父親の置かれている環境も、そうやすやす「育児」できるものではないようです。
母親は、それが分からず、子育てをまともにしない夫に八つ当たりをするものなのですが……。

父親が育児をするには、会社の上司や同僚の理解が必要です。
しかし、周囲が「男は仕事、女は家庭」という価値観の持ち主だと、とても難しいのが現状です。
(子育てハッピーアドバイス1)

と、明橋先生が指摘している通りです。

ハッピーアドバイスの本では、この後「そんな父親でもできる子育て」の方法が書かれてあるのですが、それはとりあえず置いておいて、父親を周囲、社会全体、または政治の世界でも、大いに「改善」していってもらいたいところです。
それも、「少子化対策」の一つでしょう。


それについて、興味深い記事をもう一つ。

親になったばかりの人は、要求の厳しい職業に就いている場合や、上司から休暇を歓迎するようなしないようなあいまいなシグナルを受け取った場合は、法律で保証されている長さの休暇を取りたがらないことが多い。特に男性は、子供の世話をするために休暇を取ることが社内でまたは社会的に低く見られる傾向がある。
育児休暇をめぐる5つの落とし穴

これは海外の例なのですが、どの国でも似た状況はあるようです。

こういった現状に、

カリフォルニア州ハワイ州およびニュージャージー州では、一時的労働不能保険(Temporary Disability Insurance:TDI)という形で賃金を補償してくれる。TDIは給与天引きによって雇用者が資金を提供する。ロードアイランド州は、妊娠や出産などの医療上の理由で働けない人に対して賃金の一部を補償してくれる。モンタナ州ミネソタ州は、低収入の家庭で片方の親が子供の世話をするために家にとどまることを選択した場合に、ある程度の収入を補償してくれる。

州によっては、しっかりとした育児支援がなされています。

日本の少子化も、こういった例を参考にして環境を整え、父親が本来あるべき形で「育児」できるようになってもらいたいと願っています。



追記して、安藤さんの記事から。

組織の中で働いていれば、どこでも軋轢はあります。今の職場なんて、結婚している人すら少ない。でも僕は、『朝の会議には出ない』『早く退社する』と申請して、許可をもらっています。こういう働き方に関して、子供のいない男性は批判的ですが、子供のいる男性は『よくやってくれた』と言います。一方、女性は『安藤さんだから、(そういう働き方は)当然』という目で見てくれる。

周囲の目を気にせず、堂々と育児するのも、一つの手。
なるほど、「子どものいない男性は批判的」でも、子どものいる男性には、正にトップランナー
仕事ができる人、でないと、なかなか難しいのかもしれませんが……。

そういった、先頭に立つ人が会社に一人現れてくれると、頼もしいですね。


がんばって、お父さん!

何気ない一言が、いじめのきっかけに

昨日のNHK「クローズアップ現代」では、携帯メールによる陰湿ないじめが取り上げられていました。

もともとコミュニケーション能力が十分とはいえない子どもたちに、「携帯電話」という万能ツールを与えることそのものに問題があるのでしょう。
そうは言っても、「携帯を無くせ」となると極論ですので、今後、教育の現場で積極的に取り上げていかねばならない大きな問題だと思います。

それまで仲よくしていた友達同士が、たった一回のメールの交換で、次の日からは「絶交」し、いじめの対象になったりするんです。

生徒たちは「言葉」に無頓着で、言葉の持つ重みを理解しないままに使っています。目の前の相手としゃべっているような軽い気持ちで「きつい一言」を送信しちゃうと、その時の相手の心理状態によっては、まったく違う意味を持つ言葉になって攻撃してしまうんです。
携帯メールいじめ 中学校教員から聞いた実話

きっかけは、意外にも「たったの一言」だったりします。

でも、これは子どもに限ったことではない、大人の社会でも、ちょっとしたことがきっかけで、無視、迫害、誹謗中傷、はては傷害や殺人にまで及ぶことだってあります。

番組で問題になっていた「誹謗中傷」についても、そもそも大人の社会でも目にしない日なない程、世の中にあふれています。
テレビを見ていても、コメンテーターが「批判」ではない「誹謗や悪口」を言うことも多い。
ネット社会なら、なおさらです。

子どもを健全に育てたいと思っても、社会そのものが誹謗中傷のいじめにあふれていては、このままでは日本は将来、相当な「社会」になってしまいそうで、怖いです。


子ども一人一人の個性を大切にし、お互い思いやりの心もって接することができれば……私に言わせれば、いい成績や高い学歴などいりません。
人として、相手を思いやる心を持った子どもに育ってくれればいい……。


深く考えさせられる番組でした。

「話してもムダ」な親に決してならない

いじめによる自殺など、問題が深刻化しています。

それは、子どもが「明るい未来」を夢見ることができないからではないか、という指摘もあります。

名前を出しての誹謗中傷の書き込みのあと、一言そえられる「訴えれば 〜 捕まっても関係ないし、どうでもいい」。投げやりで未来への希望を全く感じない言葉です。真夜中の書き込みに「暇 〜 だれかいる?」「つまらない」というものもたくさんありました。今、自分が何をしたらいいのか、何に向かって進んで行けばいいのか、真っ暗闇の中で進むことも戻ることも出来ずに、茫然と立ち尽くしているような姿が浮かびます。
「ネットいじめ」に思う・未来に続く今という時間

尾崎豊は「生きる意味を求め続けた」と歌いながらも校舎の窓ガラスを割った、というのを思い出しましたが、求め続けるのならば、まだ救われるのかもしれません。
求めようにも、未来が暗すぎて求める気持ちにもなれないのかもしれません。
それが、「捕まってもどうでもいい」などと、完全になげやりになって、いじめや犯罪に走ることになるのでしょうか。

そう指摘している大人自身が、果たして未来に希望を持っているかどうか、という問題もありますが。

毎日ニュースで流れるいろいろな問題……気持ちを落ち込ませるものの多さに「明るい未来を想像しろ」と言われても、これを書いている私でさえ、正直「生きにくい世の中」だと感じてしまうことがあります。

と、あるのは、ごもっとも、と同意。


未来に希望が持てる日本にするには、政治家に頑張ってもらうしかないですね。
私たちは、子どもが未来に希望が持てる家庭を築くことが、大切なことなのではないでしょうか。

 心の奥の深い所に届く何かが欠けているように思います。不安や悩みを抱えていても信頼して話せる人がいない、うわべだけの人間関係。会話の少ない親子関係。学校のアンケートで、親と話す時間は平均で一日に数分というのにも驚きました。

この記事を書いている方は、幸せにも、親との会話が多く持たれている方のようです。

実際は「どうせ親に話してもムダだから」と言う子どもが多いです。

この件に関しては、明橋大二先生の「10代からの子育てハッピーアドバイス」の中に書かれてあるのですが、親にとって「子どもの話を聞く」ということは大切であるけれども、得てして10代の子どもは親と話したがらないのが本当です。

みなさんの10代を思い出して下さい。親と積極的に話しました?
私は、正直そんな思い出がないです(笑)

親と話しているより、友達と話している方が、ずっと楽しいし、それはそれでいい、無理にこちらから話を聞こうとしなくてもいいのだ、と明橋先生は指摘しています。
以前、政府のCMだったか、「子どもと話そう」というテーマで、何やら無理矢理話させようというものがありましたが、あそこまで無理しなくてもいいのです。


では、どうすればいいのか。


そんな子どもも、ごくたまに親に話を聞いて欲しい、という時があります。
その時、たとえ親が忙しくても、しっかり聞くことが大切だということなのだそうです。


確かに、10代の子どもが親に何か話しかけてくる、また相談してくる場合というのは、よほどの事情があってのこと。
その時に「忙しいから後でね」と突き放していては、もう子どもは親への心を閉ざしてしまう、ということなのでしょう。

そうなれば、確かに「親と話してもどうにもならないや」となるでしょうね。


「10代の子どもには、敗者復活戦はない」とは明橋先生の言。
明るい未来に伸びゆく子どもとなるのは、意外と身近な、家族のなにげない対応にかかっているのかもしれません。

子供の飛び跳ねる音で裁判

マンション上階に住む幼児の足音は騒音、36万支払い命令
 マンションの上の階に住む幼児の騒ぐ音がうるさく、精神的苦痛を受けたとして、東京都内の男性が、幼児の父親に240万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が3日、東京地裁であった。
 中村也寸志裁判官は「幼児の騒ぐ音は我慢できる限度を超えていた」として、36万円の支払いを命じた。

なんでも、マンションの2階で幼児が室内を走り回ったり跳びはねたりする音に、1階の住人が悩まされるようになったそうで。抗議をしたところ、「文句があるなら建物に言ってくれ」と乱暴に対応したのだとか。

子供が騒ぐのって、どうしようもないことがあるのですよね。
親が注意したって、やめない時だってあるし。
この裁判官は「夜間や深夜には騒音が階下に及ばないように、長男をしかるなど住まい方を工夫し、誠意ある対応を行うのが当然」と述べたそうで(MSNニュース
それは分かっていることでも、なんだか法廷で言われるのも……。


ただ、「深夜に及んだ」「注意しても逆ギレ」となると、確かに下の階にいる人間としては、我慢も限度を越えるでしょうね。


最近のマンションならいざしらず、昔の木造アパートなどは、それはもう悲惨でした。
声さえ聞こえる。
こういった裁判で勝てるとなると、よほど多くの裁判が引き起こされたに違いありません。


ただ、子育て家庭を見守る雰囲気もあったことには違いありません。
「幼い子供だから、仕方がないね」という、ちょっとしたあきらめも、周囲にはありました。

ただ、さすがに夜9時には寝ていたでしょうけど。


それと、音に関する問題は、人によって違いますから難しいところがあります。
それについて、こんなブログもありました。

音(騒音)は、人によって許容限度に大きく差がある。同じ音でも、「我慢できない人」もいれば「全く気にならない人」もいる。管理会社としても「我慢しろ」とも「静かにしろ」とも簡単には言えない。中には異常に神経質な人もいて、明らかに当然の許容誤差の範疇なのに「訴えてやる!」と騒いでいた入居者もいた。

確かに、電車内で泣き叫ぶ子供について、「うるさい」と思う人もいれば、全然気にしない人だっています。
(子育てを経験した方は、結構大目に見てくださる方が多いですね。やはり独身の方には理解できないところもあるようですね。「だまらせろよ、子ども」という感じで)


思い出すのは、親が夜遅くまで働いている為に、深夜営業の無認可幼稚園なども問題になることがありますね。
それがマンションの一室を使っていたりして、周辺住民とトラブルが絶えない、ということも。


子育てに関係した、周辺とのトラブル。
未来を担う子供を育てる為にも、何とか穏便に、事は進めたいものですが。